昨日、シワにびびり、旦那さんが帰ってきても、こちらから黒豆のことには触れなかったら、
「どうよ、黒豆の出来は」と聞くので、「しわが寄った」と元気なく一言。「えっ、どれどれ」と見てもらうと、「あぁ、こんくらいいいよ。全部が全部しわ寄らないでできるわけないだろっ」と励ましか、投げやりかわからぬ答えが返ってきた。それから、黒豆を炊くにあたって、とても大切な事を教えてくれた。
「豆ってゆーのは、機械で作ってるんじゃないんだよ。大地からできてるんだ。人間が1人1人違うように豆もこれだけたくさんあっても、1粒1粒違うんだよ。皮の厚い豆、薄い豆、最初から固い豆、柔らかい豆、育ちのいい豆、悪い豆、いろいろなんだよ。料理屋の黒豆ってのは、料理人がそんな豆を経験を重ねて丹念に選り分けて、優秀な豆だけを炊いてお客さんに出してるんだよ。いい豆を買って炊いても、半分は皮が剥けてしまったり、固かったりしてそれは処分するんだよ。家庭ではそんなもったいないことはしないだろ。いや、しなくていいよ。いろんな豆があっていいと思うよ。そうきばりなさんな。ほれっ、おまえが炊いた豆の中にも、ふっくら柔らかくって皮も破れてない料亭並みの立派な豆がたくさんあるよ。しわの入ったのばっかり見ないで、そういうの探してみなよ。最初にしては上出来だよ。上出来、上出来。最初から全部うまくできたら、板前さん苦労しないよ。わっはっは」と。
なーるほど。よく見るとよく炊けた豆もあったよ。味見したのは、しわの入った豆だったもんね。主婦って、くずれたやつとか欠けたやつをもったいないからって味見してしまうよね。きれいにできたのを味見しないと意味がないのではないかと、この時ハタと気がついた次第です。お客さんや大事な人にはなるべくいいとこを出すにもかかわらず、失敗の部分を味見したってしょうーばねーよな。
そして、今回勉強になったのは、「豆って1粒1粒違うということに気がついてなかった自分に気がついた」ってことっす。最初に水で洗った時に浮いた豆は取り除くってことぐらいは知っていたけれど、ふやかして炊いた時にも豆は様子を変えるわけだよね。何度も炊くわけだから、しっかりした豆だけが美しく残るのね。最初の袋から開けて見ただけでは、そりゃわからんわ。
そんなこんなで、第1回の蜜に漬け込んだ豆を、昨晩は旦那さんと一緒に、捨て、甘みをぐっと加えた新しい蜜「本蜜」を作り、豆を再度漬け込みました。本蜜にはほんの少しだけの醤油とレモン汁を2、3滴加えてます。料理人はこの本蜜に豆を漬ける時に、最終的にふっくら上手に炊けた豆だけを選んで漬けるそうです。うちでは全部漬けました。
本日、朝起きて鍋の中を覗いてみると、豆が蜜を吸い込んで、ちょっとしわの寄った豆は再び張りを持ち直し、なんか豆全体が艶やかな感じになってきました。おかげで、私の眉間のしわも少し消えた。透明の蜜に漬かった豆が、みんなそれぞれ違うかと思うと、なんかいとおしく思えた。丹波の山で育った黒豆たちが、はるばるニューヨークまでやって来て、アストリアのちっぽけなキッチンで炊かれて蜜に漬けられて、お正月の大事な食卓を飾ることになるという、この豆たちの数奇な運命。誰がしわが入ったくらいで、捨てられようか。