夕暮れの松山城。
愛媛県の松山には、小学校4年生から中学校2年生までの4年間住んでいた。道後温泉のすぐ傍で、道後小学校、道後中学校に行っていた。毎朝6時からの武道館での剣道の練習に明け暮れたことが一番思い出に残っている。怖い先生がいて、素振り用のものすごく太い竹刀でどつかれていた。私はその頃からすでに不真面目人間で、練習が嫌で嫌でしょうがなく社宅の自転車置き場の棚に入り込んで寝たり、武道館の道具置き場で隠れて練習をさぼっていたが、弟は非常に真面目に通い、後に高校総体でベスト8にまで残るという「奇跡」を起こし、今では地元で銀行勤めの傍ら、子供達に剣道を教えたりしている。継続はものなりよね、フフン。
で、父の勤める銀行の社宅が道後にあり、そこに住んでいたので、今回道後温泉の旅館に泊まるのは初めてだった。昔、鷺谷と呼ばれていた急な坂の一角にある道後館という立派な旅館に泊まった。なんでも黒川紀章氏の建築なんだそうだ。一人の仲居さんが全ての面倒をみてくれるのも慣れないので非常に恐縮してしまった。まさに上げ膳据え膳の2日間。飯食って、温泉入って、酒呑んで、寝るだけ。昔の松山に住んでいた時の母の苦労話を一晩聞かされた。父が一番元気に働いていた頃の話だ。
お料理はこれでもかというほど出てきた。最後まで辿りつける人はそんなにいないんじゃないかと思うほど。他の旅館といかに差をつけるかを各旅館が試行錯誤の上での結果なんだろう。すごいのはどれもかなり美味しいことだ。でも食べ過ぎで、後から何がどんな味だったのか忘れてしまった。写真を撮っといてよかった。愛媛の鯛にブランドものの「愛鯛」っていうのがあるというのが一つの発見だったなぁ。香川は「引田ぶり」というのがあるし。高知と徳島にもあるんだろうなブランド魚。
翌日、父の銀行の隣にあった中華料理屋「明星苑」で、家族4人があの頃よく食べていた「から揚げ」と「炒飯」を食べようと行ったのだが、ちょうど看板屋が店の看板をはずしているところに出くわした。聞いてみると、親父さんが急に亡くなったので店をちょっと前に閉め、来月には新しいオーナーに替わり新装開店するんだそうだ。
子供だった私が、母を連れて道後温泉に泊まる歳になったわけで、あの頃働き盛りだった親父も逝き、気難しかった中華料理屋のオヤジさんも逝っちゃって、なんだか時間の流れをひしひしと感じてしまうなぁ。そんなこと考える歳になっちゃったってことです。